どうも。
先のブログからの続きで、今回の”The Dishwashers”の中のモスというおじいちゃんの役をどうしてくれようという話です。
はい。
なんというか、真っ当にというか真面目に戯曲に書かれたモスという役に寄せるべくアプローチすれば、とにかくしゃべり方や佇まいをお年寄りっぽくしてお年寄りを模倣して、更に顔にはシワを書き、髪は白髪に染めるというようなアプローチの仕方があります。
まぁやろうと思えば出来るんだと思います。それっぽく出来ないことはないでしょう。
たとえばコンプリシテのサイモン・マクバーニーさんとか、マルチェロ・マーニーさんとか、まるで別人のからだを表現できる、圧倒的な身体表現を身に付けた俳優さんというのも世の中にはいらっしゃいます。
あれくらいのレベルで圧倒的なおじいちゃんの身体をもし表現できるとすれび、先のようないわゆる真っ当な「おじいちゃん然とした」方向へのアプローチももしかしたら有効なのかもしれません。
が、たぶんそれは出来ません。
「習っていないので出来ません。」
と言うと圧倒的な「ゆとり感」がしてしまいますが、平泳ぎ本店のメンバーの中には集団でのそうした身体的なアプローチの仕方の表現のノウハウがありません。なのでたぶん頑張ってやったとしても本番に舞台でお見せできるようなレベルには持っていけません。
こう言っては何ですが、若者がおじいちゃんを無理して演じてもねぇ。という気持ちもひとかたならずあります。おじいちゃんを演じるにはよっぽど上手くやらないと「嘘じゃん!」ということになり、よっぽど上手くやるのは本当に難しいと思います。
だったら現段階の平泳ぎ本店でどうすれば少しでも妥当に”The Dishwashers”を上演できるだろうかと考えると、たとえば登場人物の役のイメージを若干翻案した上で、台詞のやり取りの組み立ての精度を上げていくということに思いいたります。
台詞のやり取りによるお互いの関係性で、役をそれらしく見せるというやり方です。それだったら、曲がりなりにもこれまで養成所で勉強したことが少しは役に立つかもしれません。
実は、元の『洗い屋稼業』の翻訳者の吉原さんにお会いしたときに真っ先に尋ねたのがモスの設定についてでした。
「おじいちゃんの役を若者が演じるのできっと無理が出てしまうのですが、場合によっては翻案してもいいですか?」とお聞きしたところ「そうでしょうね」と快くOKして下さり、「薬物のジャンキーとかの設定でもいいのではないか?」という話をして頂いたりもしました。
設定を変えても翻案をしても、元の戯曲に書かれた内容、戯曲本来の印象が伝わればいいのではないか?というのが、一個平泳ぎ本店の方針です。
モスもおじいちゃんであることが重要なのではなく、圧倒的に歳が離れて他の人物から浮いている、ある意味で疎外された人物という事が観ている人に
伝わればいいのではないか。
その結果、元の”The Dishwashers”という戯曲に書かれたドラマを過不足なく伝えられればいい。
ややこしく考えすぎているのかもしれませんが、劇・戯曲の翻案というのはつくづく難しいと思います。
戯曲に書かれた言葉が大切なのではなく、そこに書かれた言葉を舞台上で俳優が発したときに観客が受けとる印象までを「劇(ドラマ)」なのだとすれば、劇(ドラマ)が伝わるなら言葉や設定はある程度変えてもいいんじゃないかということに、なりますよね。
屁理屈と言われればそれまでなので言い訳出来ませんが、屁理屈どんとこいです。
心理学の授業で「心そのものは記述できないが、その有り様を記述することは可能」みたいなことを習った気がしますが、劇と戯曲の関係もこれに似てる気がします。
伝えたいのは戯曲(記述)ではなく劇(心)です。
台詞を伝えてもしょうがない。何が起こったかをきちんと伝えたい。
うーん。
なんのこっちゃといった感じですね。
はい。
とはいえ今稽古場でどうなっているかというと、設定の変更などの紆余曲折をへてBのモス役の福留は「言える台詞と言えない台詞が出てきた」と言っていました。
もちろん彼はもう全ての台詞を覚えているのですが、設定が微妙に変わりつつあるため他の役との関係性が変わり「言える台詞と言えない台詞が出てきた」ということらしいです。
覚えた台詞をあえて言わないというのも、きっと勇気が要るんだろうなと思います。
また福留が言わない分の台詞の内容を周りの人が拾わなければいけないので、結局全員がきちんと相手の台詞まで覚えていなければならず、実はなかなか複雑なことをしています。
ただ覚えた台詞を喋るだけではだめで、なんだかいよいよややこしいことになってきたな!と、ドラマトゥルクとしてはニヤニヤしてしまいます。
そんな感じで、現在稽古をしています。
公演本番にモスという役がただのおじいちゃんになっていた場合「平泳ぎ本店は日和って問題意識を捨て、無批判なストレートプレイに堕した」と思って頂ければと思います。
出来ないことを敢えてするような無理はしないが、出来ることを組み合わせてなるべく今までやったことのない様な凝った作り方をしてみる進取の気っ風が平泳ぎ本店をなす根幹です。
ツイッターでたまに報告している稽古前のアップ(筋トレ)も、ただ面白半分でからだを動かして享楽的に肉を喰らっている訳ではなく、将来的には平泳ぎ本店という集団としての共通の身体性を獲得したいという思いの発露であったりします。
身体表現だって出来ないより出来るに越したことはありません。
ただでさえ「新劇出身の役者は身体が利かない」といろんな人から言われます。
今出来ないことを一つずつ出来るようにしていく。
演劇を続けるということがそういうことだとしたらきっと面白いだろうなと、思います。
本番までまだ3週間もあります。
もっともっと、ややこしくしていきたいと思います。
平泳ぎ本店 第1回公演
“The Dishwashers”
予約受付中です。
http://481engine.com/rsrv/webform.php?sh=2&d=649e6311d3
クラウドファンディングも、経過順調です。ぜひご一読ください。
https://motion-gallery.net/projects/hiraoyogihonten-1st
松本