Theatrical Power-POP 2

Hiraoyogi Co./平泳ぎ本店

Theatrical Power-POP2

Upcoming 2020 early summer

TRI_0462

 

≪Hiraoyogi Works≫

近年神楽坂セッションハウスにて『演劇的な、余りに演劇的な』(2018)、『Theatrical Power-POP』(2109)という作品を発表してきた平泳ぎ本店。

「演劇とは何か?」という問いの下、様々なテクストをあらゆる演劇的な手法を用いてシーンに立ち上げコラージュしてきました。

『Theatrical Power-POP2』(仮)はその同系統の作品の3作目となります。(予定)

もともと第一作目の『演劇的な、余りに演劇的な』というタイトルはもちろん芥川龍之介の『文芸的な、余りに文芸的な』を下敷きにしたもので、芥川ー谷崎両人が論じた「小説とは何か」という問いを演劇に読み換え、同時代や古典の様々な戯曲を引用しつつシーンを紡ぐそれは早稲田小劇場、鈴木忠志氏の『劇的なるものをめぐって』という作品へのオマージュでもありました。

(そしてまた、男性だけのカンパニーで、かつ神楽坂セッションハウスでそうした形式の作品を発表するにあたって、コンドルズもまた強く意識しました。)

平泳ぎ本店という団体では劇作家、演出家を置かずに、俳優による集団創作(ディバイジング)を行っています。

その中で俳優の身体性、存在感、魅力を十全に発揮するためにはどうしたらよいかを考え、”コラージュ”という方法にたどり着きました。

様々な戯曲、小説からの引用、コラージュを行うことで舞台上の俳優は物語の筋から解放されて官能性を発揮し、各戯曲は元の文脈から解放/再構成されることで新たな魅力を獲得します。

そして一つの作品の内に様々な戯曲・小説からの言葉を並べることで、あたかも料亭の刺身の盛り合わせで北から南、西から東まで日本全国の美味い魚が並べられるように、あるいはウエブに張り巡らされたハイパーリンクのように、観客の方は一度の上演で実にさまざまな作品の片鱗に触れる機会を得ることが出来ます。

また昨今、第63回岸田國士戯曲賞の選評で岡田利規氏が触れていた「〈普通の演劇〉への嗜好と〈普通じゃない演劇〉へのそれとのあいだにある溝」ということについて、私(主宰・松本)自身も尋常ならざる問題意識を抱いています。

演劇というごくごく小さなマーケットの中でさえ、あなたの界隈とわたしの界隈はこんなにも異なる。

演劇人として最も肌で感じる社会の「分断」といえばこの”溝”に尽きると考えています。

そして私はつくる作品を通じてその”溝”に橋を架けたいと考えています。

そのために様々な演劇的な手法を駆使し、観た人が「これは演劇ではない」「これが演劇だ」という物言いでははかれないような「得体のしれない何か」ともいうべき上演を実現するべく日夜創作をしています。

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