平泳ぎ本店とは?

平泳ぎ本店とは?

まず、「平泳ぎ」について。

平泳ぎをする人、を、考えてみてほしい。

人類が地上で生活するようになって何十億年である。 それなのに、平泳ぎをする人というのはわざわざプールに赴き、水着に着替え、キャップをかぶり、ゴーグルを着けてまでわざわざ、誰に頼まれるでもなく好き好んで水の中に入っていく。

いまや多くの哺乳類にとって圧倒的に不利な環境でしかない水の中に。

しかも、平泳ぎ、である。

クロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎという競泳4種目の中で、平泳ぎは最もスピードが出にくい、つまり遅い種目である。(「ゆっくり長く泳ぐのには適しているのではないか?」と思う人もいるかもしれない。が、それは「カエル泳ぎ」であって平泳ぎではない。似て非なるものである。正しく泳ぐ平泳ぎは結構ハードである。)

しかしながら平泳ぎは、北島康介の例を引くまでもなく、欧米人との圧倒的な体格差というハンデの中でも日本人が世界の舞台で対等以上に戦える種目である。

なぜなら、平泳ぎは技術の泳法だからである。形態的な優劣よりも、技術による優劣が勝敗を決するのである。

平泳ぎの動作には、4つの段階がある。水を捕まえるキャッチ、水を掻くプル、手を前に伸ばすリカバリー、そして足で水を蹴るキックである。

この4つの動作=ワンストロークから平泳ぎは成っているが、キックの予備動作のため、足を引きつけるという動きによって水の抵抗を大きく受け、いかなるトップアスリートでもそのワンストローク中に一瞬(0,1秒)の停止時間が発生するのだという。

仮に50mを50ストロークで泳ぐとすれば、0,1×50=5秒の停止時間が生まれることになる。

ではより速く泳ぐためにはどうするか?

ストロークを減らし、一つ一つの動作を徹底的に洗練することによって、無駄を削ぎ、ワンストロークで進む距離を極大まで伸ばし、停止する時間を極力短くするのである。

たとえば、50m進むのに50ストロークから40ストロークに減らすことができれば、1秒タイムが縮むことになる。

つまり、己の身体を徹底的に意識的かつ効率的に動かすという技術をもって、より少ないストロークで同じ距離を泳ぎきることを目指す。

と、ここまで書いて鋭い方ならもうお気付きではなかろうか。

そう、平泳ぎは演劇である。

より正確に言えば、平泳ぎとはつまり演劇だと言ってしまいたいのっぴきならない衝動が現にここにあるのである。

一見まるで関係がなさそうに見えて、平泳ぎと演劇、両者の営みにはとても似通ったものがある。

平泳ぎをする人間がわざわざ水の中に入っていくように、演劇をする人間もまた誰に頼まれるでもなくわざわざ演劇という非効率的な、今のこの世界の資本主義経済の原則にもとる営みに嬉々として足を突っ込む。水の中も舞台の上も、大多数の人間にとってそれが不自然な環境である点においては変わりない。

平泳ぎをする人が速く泳ぐために技術、すなわち自分の身体の動きの一つ一つを洗練していくように、演劇に関わる俳優や演出家たちもまた、一つの台詞を言うために、一つのシーンを成立させるためによりよい表現がないか常に模索し続け、己のことば一つにこだわりながら演劇における技術とは何かを稽古場で、舞台の上でフィジカルに自分の身体をもって追求し、突き詰め、世界で勝負をする。

そして平泳ぎがより少ないストロークで同じ距離を泳ぎきることを目指すように、演劇もまた自ずから無駄を徹底的に削ぎ落とし、より少ない言葉、より少ない動きでほとんどすべてを語りつくすような究極にミニマルでシンプルな表現・技術を志向しうることは、この国の最も古い演劇の一つである能を考えれば明らかである。

だから、今一度言いたい。

平泳ぎは、演劇である、と。

そんなことを考え続ける場所と機会。 を、自分たちの手で長く、継続的に運営できるような、そういう集まりでありたい。

そして、紀伊國屋書店新宿「本店」なみの商品つまり技術の、芸の引き出しのラインナップ。見つからないものはない、本店に行けばだいたい欲しいものが見つかるだろう、みたいな。

だから、平泳ぎ本店。

平泳ぎ本店である。

そうした訳で、向後万端お引き立てのほど、よろしくお頼み申し上げます。

平泳ぎ本店 主宰 松本一歩

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