引き続き、台詞についてのノート

かつて養成所にいた頃の発表会のアンケートだったか何かで見かけた意見で、「役者は上手いけどつまらなかった」というのがありました。

その時は「ほほう。」と思って読み流したのですが、今でも覚えてるのでちょっと印象的だったのだと思います。

「上手いけど」と少し褒められつつ貶されている。

うーむ。

「つまんないし下手くそだし根本的にダメ」みたいなことが書かれたものも見たことがあるので、それよりはいくらかマシといった感じでしょうか。

他にも発表会を観た人の感想を探すべくTwitterでエゴサーチをしていて(大体の役者はエゴサーチします)、「つまんなかった。即興が足りない。インプロビゼーションをやんなきゃ駄目だ。」みたいな感想も見かけたことがあります。

その時もやはり「ほほう。」と思って読み流しました。(もしかしたらイラッとしてRTか何かしたかもしれません。)

しかしなんでつまんなかったのか?ということを今でもよく考えます。

たとえば俳優の演技について、スタニスラフスキーの「システム」や、マイズナーの「メソッド」というものがあります。

誤解を恐れずすっごく端折って説明すると、それらの「システム」「メソッド」というものを俳優が理解してマスターすると、感情や記憶を意識して操作することが可能になって、いつでも舞台上で観客に感動を与えられるような「冴えた」演技をすることが出来るようになります。

どっこい、演劇というものは反復芸術です。同じシーン、同じ台詞を稽古から何回も何十回も繰り返します。本番でもまた繰り返します。

俳優も人間なので繰り返している間にそこそこ飽きてきます。本当は毎回悲しくなって泣いたり、嬉しくなって笑ったりしなければならないのですが、徐々にそういう新鮮味が失われていきます。

先に挙げた「即興」「インプロビゼーション」というのもそうした事態への1つの対策で、稽古場や舞台の上で文字どおり即興で毎回何かしたり言ったりする訓練をすることで対応力を高めて俳優の意識を新鮮に保つといった意味合いがあります。(ざっくり言うと…)

あるいは近年の日本の「現代口語演劇」だと、俳優に様々なタスクを与えて身体的にも精神的にも負荷をかけるというのが、俳優の演技の新鮮味を保つための1つの方策になっていたりします。

本筋から外れつつありますが、今回の本題は観客が観ていて「面白い」「つまらない」と思うのと、俳優が演技をどれほど「新鮮に」あるいは「冴えた」状態に保つことが出来るかというのが、結構密接に繋がっているのではないかということです。

観客に「芝居がかっている」とか「嘘臭い」とか思わせることなく、妥当に観続けられる演技をすること。

言ってしまえばこれが俳優の技術ということにもなるかと思うのです。

で、です。

これは色々考えてみたり自身の反省としての実感なのですが、「台詞を大切にする」のが基本方針という所にいたことで、ともすれば多かれ少なかれ盲目的に台詞を喋っていたのが「つまらなかった」原因ではないのかと思い至りました。

たとえば英語のシェイクスピアの弱強五歩格や日本の七五調の様に、その土地の人の心と深く結び付いた「口に出すだけで心が震える」類いの、音の響きと感情がワンセットになった詩的な言葉というのも間違いなくあります。

あるいは俳優がきちんと発語しさえすれば観客に劇がまっすぐ届く様な文体を持った劇作家というのも間違いなくいます。

しかし、必ずしもそうではない場合というのもまたあるということです。

「なんか言いづらい」「こんな言葉遣いしことない」「この役がなんでこんなこと言うのか分からない」といった些細な違和感を抱え、正直「この台詞は言えないな」と思いつつも、とりあえず舞台上で台詞を喋るということは出来ないことではありません。

しかしそういう場合に無批判に台詞を口にすると、「とりあえず台詞は沢山喋ったけど、結局何も起こらなかった」ということになってしまうのではないかと睨んでいます。

なんというか、これはつまり台詞を喋ることが自己目的化した結果、肝心の「その台詞を喋った役の目的、意図」、もっといえばそこで起こった感情や心の動き(=劇、ドラマ)を取りこぼしてしまったということに他なりません。

ほんとは戯曲に書かれた台詞というのはそれ自体が目的なのではなく、その台詞を発さざるを得ない状態に至った、周りの色んな要因を受けた結果の一部だからです。アフォーダンスというか。。

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小むつかしいことを並べているようですが、要は平泳ぎ本店では一旦「台詞はさほど大切ではない」と仮定してみよう、ということです。

台詞よりも起こっていること(=劇、ドラマ)が大事。

なんでこんなことを敢えてまた言っているかというと、現に結構”The Dishwashers”に手こずっているからです。

“The Dishwashers”は翻訳戯曲です。

たとえば、洋画を字幕で観るときを考えてみてください。

僕自身、気に入った映画は字幕で観てそのあと字幕付きで吹替で観て、そのあとに英語字幕付きで英語で観るというややこしいことをするのですが、そうすると字幕の翻訳も吹替版の日本語も、結構要点を摘んで意訳していることに気が付きます。

それでも、登場人物が何をしようとしているのか、全体で何が起きているのかは伝わります。もっと言えば俳優(とその演技の)魅力は、字幕の字面がちょっとやそっと変わった位では損なわれません。

さてさて。そんなことを踏まえた上で。

今回の”The Dishwashers”もカナダの戯曲ですが、海外の戯曲を翻訳して上演するというのはとかく難しいのだと思います。

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翻訳のイメージです。英語から日本語に訳すときに、物語の軸はそのままで言語の位相を移す、というか。

うーん。

ややこしいですね。

なまじ正確な訳にこだわって字面に追われればドラマを見失ってしまう。ドラマを追うと字面が疎かになりかねない。

誤解を招くといけないのですが、元の『洗い屋稼業』の翻訳に瑕疵があると言っている訳では全くありません。吉原豊司さんの訳は原作の設定に忠実に過不足なくニュアンスや意味内容を伝えておられます。

ただ、若い我々がそれをそのまま上演するには多少の無理があり、その無理に目をつむると”The Dishwashers”という作品自体の面白さを損なってしまうことになりかねないので何かしらの戦略が必要だということを考えているということです。

そんなこんなで今回試みているのは「台詞の仕立て直し」です。

オーダーメイド的な。

基本的に台詞を俳優に預け、彼らが言いやすいように直すことを全面的に応援しています。言えない台詞はどんどんカットしてもいい。言いたい台詞は足していい。ただし相手役との関係や、起こるドラマは生かしたままで。

同じひとつの台詞でも、それを発する俳優が違えば観客が受け取る印象は変わります。それに普段は人間誰しも、それぞれ違う言葉遣いをしています。話し相手によっても言葉遣いを変えますよね。

元々自分達が上演するために書かれた台詞ではないのだから、たとえば今一度自分に合うように裾をあげたり袖を詰めたりして身体に合うように仕立て直す。

それでいてなおかつ台詞ひとつひとつに遊び(余白)を持たせることで演技の新鮮味も担保する。

仮に、そんな戦略です。

たとえばこんな台詞があります。

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ドレッスラーという役が、レストランのオペレーションについて語る長台詞。

おもむろにダイニングルームを砂漠の中のオアシスに喩えながら、延々と喋り続けるシーンです。

ただこの長い台詞のなかで使われている語彙がドレッスラーという役からはかけ離れていたり、そもそもここで急にこれだけの量を喋るに至った意味が何度か読んでも今一つ分からず、ここだけボコッと飛び出している印象があります。

この長台詞を俳優がただ覚えて喋ることは出来ますが、そうすると「よく頑張ったね」ということにしかなりません。

そうではなく、この台詞を喋らざるを得ないような動機やきっかけ、その時の周りの状況を考え、俳優に与えれば自ずと喋らざるを得ない、必要に迫られて喋るということになります。

そうなれば観ている方も「妥当だな」と思って観ていられる。

それだけでは言えないような台詞を、どうしたら無理なく言えるようになるのか。

たとえば、養成所の卒業公演でチェーホフの『三人姉妹』をやった時に、終幕のアンドレイの長台詞をラップにして言うというシーンがありました。

アンドレイの役をやった本人達は「あれは果たして正解だったんだろうか」と、今でも飲み会の時などにネタにしていますが(それほど勇気が要ったみたいです)、演出の方がやらんとしていたことは分かるような気がします。

チェーホフの長い詩的な台詞を、下手にそのまま美しく言おうとするとただ台詞を歌う「ダメな新劇」になってしまう。

そうする位なら、いっそラップという形でモダナイズして始末をつければ、まだ妥当に無理なく観ていられる。

演出家の方の本当の意図は今となっては分かりませんが、そんなことだったのかなと僕自身は勝手に解釈しています。

とにもかくにも、台詞に対する「言える」「言えない」という問題意識があるのとないのとでは作品の仕上がりが大きく変わるはず。

そんなことを考えながら、今日も平泳ぎ本店の試行錯誤は続きます。

平泳ぎ本店 第1回公演
“The Dishwashers”
予約受付中です。
http://481engine.com/rsrv/webform.php?sh=2&d=649e6311d3

クラウドファンディングにも、挑戦中です。ぜひご一読ください。
https://motion-gallery.net/projects/hiraoyogihonten-1st

松本

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