どうも。平泳ぎ本店です。
稽古開始から10日が経ちました。
今日で本番まで29日。
さっさと台本を離して立って動きたいのは山々なのですが、まだまだじっくりと台本を読んでいます。
分析、深読みが進み二周くらいまわって「なんだこの戯曲よく分かんねぇな!」となりかけているところです。
上演すれば正味100分足らずの短い作品なので、若さと勢いでガッ!とイージーにやってしまえばやってしまえないこともないのですが、そうしないのが平泳ぎ本店のスタイルというか作り方です。
そこそこ煮詰まった俳優からは「稽古時間が足りないな!」という声も上がり、主宰としては「いいぞ、もっと悩め」とニヤニヤしている次第です。
『リチャードを探して』という映画があります。
アル・パチーノがシェイクスピアの『リチャード三世』を上演するまでを追ったドキュメンタリーというか劇映画なのですが、印象的なのは集められた(超一流の)俳優たちが作品や役のことについてとにかくたくさん議論する姿です。
時に感情的になったりしながら、とにかく言葉を尽くして「あぁでもない、こうでもない」と作品について話し続けます。
他にもピーター・ブルックや学者、その辺の一般人なんかもインタビューで出てきて面白いのですが、中でアル・パチーノがこの映画の構成について「(学者や俳優)誰の意見が正しいかは問題ではなく、色んな意見を見せることで作品(『リチャード三世』)に対する理解が深まるんだ」と言っていてなるほどと思いました。
それと比べるのもいささか(というかかなり)気が引けるのですが、平泳ぎ本店の稽古でもとにかく皆よく喋ります。
1つのシーンを読んでみて、そのあとに「この台詞ってどういう意味?」とか「何を思ってこんなことを言うのか?」とかそもそも「この役ってどんな人?」であるとか、或いは俳優が読んだのを傍から見ていた印象なんかを、かなり旺盛に話し合っています。
しまいには”準座員”こと鈴木までが「そう、『役者は皆演出家であれ』ってことだよねぇ」と、なんだか満足げに頷いていたりします。
(ちなみにその心は、「役者は皆作品全体を俯瞰して見ることが必要」ということだそうです。)
養成所にいた時分にも、とある演出家の方に「ニューヨークのアクターズ・スタジオ(先のアル・パチーノも出身)では俳優同士が忌憚なくお互いの演技を批評し合うんだ(だから君達もそうしたまえ)。」みたいなことを言われたように思いますが、言っても日本人なので日頃の授業や発表会で人に意見するような機会というか機運は(僕の見た限り)そこまでなかったように思います。
上演する作品について俳優同士できちんと分析やリサーチをしたり、演技についてお互いに議論をしたりすることも、もしかしたら少なかったのかもしれません。
ともすれば演出家主導のトップダウンみたいなことになってたのかも知れないな、という俳優としての自分の個人的な思いもあり、平泳ぎ本店ではそうしたくありませんでした。
まずとにかく俳優ありきで、俳優同士が、五分で付き合う。俳優と演出家も、間違っても演出家におもねる様なことなく表現者同士として五分に付き合う。
そうできたらいいなと思っていたので、準座員鈴木も含めた皆が活発に意見を交わしているのを見ると、主宰としては我が意を得たりというか、「こういう場所を用意した甲斐があったな」ととても嬉しくなります。
これが平泳ぎ本店の初回で皆同期だからというのもあるかもしれませんが、今は割に望ましいバランスで稽古場が回っているように思います。
とはいえそういうバランスというのは得てして繊細なもので、中の誰かがポーン!と売れたり、或いはほんの些細なきっかけからあっという間に失われてしまうのかもしれませんが…。
ロックバンドとかでも初期のシングルやファーストアルバムにしかない「えげつないパワー」みたいなものがありますよね。(漫画『BECK』より)
それです。
はい。
とにもかくにも言葉を尽くせば尽くしただけ作品は豊かになるはず。なのかなぁ、と、試行錯誤の稽古は続きます。
平泳ぎ本店 第1回公演
“The Dishwashers”
乞うご期待。
予約も、受付中です。
http://481engine.com/rsrv/webform.php?sh=2&d=649e6311d3
公演に向けたクラウドファンディングにも、挑戦中です。ぜひご一読ください。
https://motion-gallery.net/projects/hiraoyogihonten-1st
松本