平泳ぎ本店は結局何をしたいのか?
もちろん第一には11月の公演、演劇作品を作って上演するというのがあるわけですが、実はそれだけだと少し言葉が足りません。
たとえば、俳優と呼ばれる人間が「自分は俳優だ」と言うために必要なものは何か。
いろいろあると思いますが、結局何にも代えがたいのは「舞台に立っている」という事実でしょう。
俳優なのだから「舞台に立っている」というのは当たり前といえば当たり前なのですが、これを少し掘り下げてみると、
舞台に立つためには(もちろん)稽古が必要です。
一般に、一本の舞台作品に必要な稽古期間は40日前後と言われます。(歌舞伎の様に5日とか短いものも沢山ありますが…)
単純に、年間3本の舞台に出演すれば120日、4本なら160日を、演劇の事を考えながら過ごすことになります。
そして余程のロングランの公演にならない限り、この稽古の期間の方が実際の公演の期間よりも長いという場合がほとんどです。
たとえば、マラソンランナーが練習で走る何十万kmという距離と、試合当日に走る42,195kmとの関係みたいなものでしょうか。
本番は、実は氷山の一角に過ぎないというか。
この本番に到るまでの練習、稽古の積み重ねにこそ価値があるのではないか?
結局、俳優にせよ演出家にせよ、会社勤めではない自由業のような職種の人間のアイデンティティを裏づけるのは、こうした演劇のために費やす時間をおいて他にないのではないか?
それはつまり稽古場で、目の前の作品をよりよくするために試行錯誤する時間のことだ、と。
もちろん観に来てくれるお客様からすれば、実際に目にした舞台が全てかもしれません。
いやでも実は、そこに至るまでの間に稽古場でクリエイティブな時間を過ごすということこそ、演劇に関わる人間の仕事じゃなかろうか、と。
そんな一俳優(演出家)としての問題意識のもとに、平泳ぎ本店は実際の公演と同じくらい、稽古の時間も重要だと考えています。
なので単に公演を行うというよりもむしろ、そのための稽古まで含めた、演劇の事を考える場所と機会を自分たちの手で継続的に運営するというのが、この平泳ぎ本店のより正確な目的と言えます。
…とはいえ、どれだけ能書きをたれたところで、出来上がった作品がつまらなかったら意味がありません。
ろくでもない作品を作れば、この東京の小劇場界、あっという間に淘汰されて悪評だけ残ります。
というか何も残らないかもしれません。
それはいやだ!
寂しい!
なので、作品がすこしでも面白くなるように、いろいろな準備を、しております。
続く