「作戦に、まみれてみろ」

急にそんなことを言われても、と思うかもしれない。

作戦。

「戦」を、「作」る。決して生半可な覚悟では口にできない言葉だ。平和に暮らす人々にはおよそ縁がないように思える。

ところがこの言葉を好んで口にする人種がいる。

子供である。

たとえば、誰もが一度はやったことのあるであろう遊び、ポコペン。

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一見彼らは無邪気に遊んでいるように見える。しかし、その実全く逆である。

上の画像では、一見ぼうずくんは無策に索敵されてしまったように見える。

しかしこれは鬼の意識を画面下部へ集中させるための布石であり、黄色い髪の女の子と結託して鬼を誘い出した所を画面上部に潜む三つ編みの女の子が仕留めるという、いわば陽動作戦の典型的なパターンである。

それが証拠に下部の二人がほとんど丸出しで隠れる気がないのに対して、三つ編みの女の子は木の陰で半身で構えている。

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「半身で構える奴はやる奴」、つまり彼女が仕留める役割を担っているということが明らかである。

これらの事実はつまり、彼らが試合開始前に「二人は囮、その隙を突く」という「作戦」を立てたことを意味する。

「こういう作戦でいこうぜ!」

このようにして人は皆子供の頃、遊びのなかで「作戦」と出会い、「作戦」の立て方を学び、「作戦」と慣れ親しんでいく。

ところで、遊びとはplay、すなわち演技、演劇である。

そう考えたとき、いま演劇の中に作戦はあるだろうか?

少なくとも私は目にしたことはない。演劇の現場で誰かが、あるいは全員が作戦を立てる姿を。

とかく「問い」や「仮説」は立てがちな現代演劇でも、めったなことでは「作戦」は立てない。

現場でよく耳にするのは主に「プラン」である。「上演プラン」「演出プラン」「演技プラン」「美術プラン」「音響プラン」「照明プラン」「衣装プラン」……

この場合の「プラン」が、今言わんとする「作戦」に相当するのだという向きもあるかもしれない。

しかしプランplanとは計画であり、作戦strategy/tacticsとは根本的に異なる。

「演出プラン」は聞いたことがあっても、「演出作戦」は聞いたことがない。

とにもかくにも、いま現場に作戦はないのだ。

さて。

本当にそれでいいのか?

本当に作戦を立てなくてもいいのか?

むしろプランばかり立てていていいのか?

不安ではないか?

実は作戦を立てたいのではないか?

子供の頃は遊びのなかで自然に作戦を立てていたのではなかったか?

大体「プラン」よりも「作戦」の方が強そうではないか?

別役実も『言葉への戦術』っていう本を書いてるぞ?

そうした訳で、平泳ぎ本店は作戦を立てます。

「新しい考え方、それは作戦」
平泳ぎ本店 作戦会議
5月21日(土)午後
費用 コピー代など実費
場所などの詳細は折り返し連絡します。
参加をご希望の方は
hiraoyogihonten@gmail.comまでご連絡下さい。

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