【主宰の反省④】

どうも。

寒さがいよいよ厳しくなってきました。

引き続きゴリゴリ反省を続けていきたいと思います。

いきなり余談ですが、いつだったかこのブログで紹介した、僕がかなり思い入れがあった舞台を「マジでつまんなかった」と言い放った彼が”The Dishwashers”を観に来ることはついにありませんでした。

まあえてしてそんなものです。

誘ってみたとて、観に来てくれない人は永遠に観に来てくれません。

それはどうでもいいのですが、今回はなぜ演劇をやるのか問題です。

「お金にならない」だの「大変」だの散々言って、それでもなお演劇がやりたいと言うならそれは「なぜか」というのを説明する必要があると思うからです。

誰に?と言えばそれは支えてくれる人(たとえばクラウドファンディングで応援してくれた方)に対してであり、劇場に来てくれる観客の方に対してであり、自分の家族に対してであり、実は平泳ぎ本店のことを全く知らない人に対してでもあったりします。

アドボカシーです。アドボカシー。

自分が演劇を行うことについてきちんと説明が出来ない、あるいは「好きだから」「なんとなく」というのは雑だよなと、僕はそろそろ年齢的にそれでは問屋が卸さないというラインに差し掛かってきているので、とみにそう思います。

実際に1本公演を行ってみて、その気持ちは確たるものになりました。

というのはあまりの効率の悪さ、収支の取れなさに自分でも「これもう真面目に働いた方がいいんじゃないか」と一瞬思ってしまったからです。

と同時に、別にお金をたくさん儲けるために演劇をやってる訳じゃないということも思いました。

お金を儲けたければ大きな事務所に入って映像の仕事をバカバカやればいい。

でもやっぱり僕は演劇がいいです。

「演劇が資本主義にもとる非効率的な営み」というのは、平泳ぎ本店のコンセプトでも言っております。だから「平泳ぎ」な訳です。

何より演劇が好きだというのがやはり本心で、その気持ちに素直でいた方が僕としても余計な我慢をしたりする必要がなくて純粋に幸せだよなとしみじみ思いました。

なので「これもう真面目に働いた方がいいんじゃないか」と思ってしまった己の一瞬の逡巡への戒め、反省も込めて、なぜ演劇をやるのかということについて、ここで一度きちんと言葉にしておこうと思います。

なぜ演劇をやるのか。

それは、上演を通じて劇場に足を運んでくれた人の人生を1mmでも変え、幸せにするためです。

劇場に足を運んでくれる観客と関わるために、観客とその人生に関わるために演劇をやっています。

それがつまり生業として演劇を選ぶ人間の、社会との関わり方なのかなと思います。

人と関わること。社会と関わること。平泳ぎ本店にとって、その方法が演劇です。

こんな風に書くとややこしく思われるかも知れませんが、たとえば井上ひさしさんの『紙屋町さくらホテル』に「今夜劇場に来る人の中に、少なくとも一人、生まれて初めて芝居というものを観て、そのために人生に対して新しい考え方を持つようになる人が、劇場のどこかに座っている。その人のために全力を尽くせ。」という台詞があったりします。

人の人生を変えるというとすこし大仰ですが、結局、人と関わりたいのです。

誤解を招くとあれなのですが、それは例えば観客を啓蒙したいとか、メッセージを伝えたいとかいうケチなことではありません。

伝わらなくてもいいのです。

それよりも、劇場で場所と時間を共有したい。そこでいつもの日常から少し離れて、人生や人間というものについて少し立ち止まって考えてみたい。

ぶっちゃけ作品はそのための口実、ダシにすぎない、というと少し言いすぎですが。

演劇は「言葉の芸術」という側面が強いです。100%書き言葉の文学とはまた違う、言葉の営みです。

たとえば、平泳ぎ本店でもずっと考え続けている「俳優の演技の技術」や「演技の良し悪し」「演劇におけるおもしろい/つまらない」といったテーマは、たとえどれだけ話し合ったとしてもキリがありません。

演劇の「コミュニケーション」の側面を強く打ち出すというのは平田オリザさん以降定番となっていますが、それはどういうことかと自分なりに考えてみると、「考えても明確な答えがない問いに対して集団の中でどう折り合いを付け、最善とおぼしき解答を与えるのか」ということなのかなと思います。

演劇もその作品がどうやったらもっと面白くなるのか、稽古場で言葉にして明確に「こう!」と言い当てることはなかなか難しいです。

それでもサボらずに、作品を良くするために話し合いを続けること。

それがある意味では平泳ぎ本店にとっての演劇という営みです。

劇団サンプルのドラマターグの野村政之さんは「演劇作品はそのチーム(座組)のドキュメンタリー」という言い方をされたりしてました。

稽古でそれまでにどういう取り組みをしたのかが本番では出るわけです。

うまく言葉に出来ないことを、それでも言葉を使ってどうにかより良くしようとする。

それは見ようによっては社会とか生活とか政治、民主主義の縮図といった感じもします。

いろんな人といつ果てるとも知れない話し合いを続けること。それが楽しいと心から思います。

だから、演劇をやりたいと思います。

はい。

てな感じでしょうか。

反省というかもう半ば己への戒めです。

これで今回の公演についての反省は概ねおしまいです。おそらく。

はい。
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Tシャツの元ネタイメージです。当初バックプリントの予定だったのを、右のSPACのTシャツを参考に変更しました。
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今年の6月くらいに、いっちばん最初に手探りで書いた企画書です。いきがっています。一応の概要はうっすら実現できたのかなと思います。

松本

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