今回平泳ぎ本店を始めようと思ったのには、ちょっとしたきっかけがありました。
今回平泳ぎ本店に集まってくれた人達は、みんな今年の3月まで都内の演劇研究所に通っていた同期だったのですが、そこでは年に4本の発表会がありました。
その発表会を観に来てくれていた友人と食事をする機会があり、そこでふとした拍子に僕が個人的に特に思い入れの深かった作品について「あれはマジでつまんなかった」という感想を耳にしたのが、そもそものきっかけでした。
ほんとに大切な作品だったので「ふざけんな!」と目の前のビールジョッキでぶん殴ってやろうかとも思ったのですが、一瞬後にはそれよりも大きな感慨みたいなものがありました。
これでいいんじゃなかろうか、と。
むしろこうあるべきではないか、と。
僕自身、演劇に関わっている以上、観客として舞台を観に行くことはそこそこ多い方だと思いますが、そこで心から面白い!と思う作品に出会うことは実際中々少ないです。
観る作品観る作品どれも面白いということになればそれに越したことはありません。
が、実際には演劇という表現方法自体テレビや映画に比べると少々ややこしく、難しいテーマを扱っていることもあればアーティスティックな方向に振り切れてしまっている物も少なくないので、その中から自分自身に100%ハマる作品に出会うというのはなかなか稀有なことなのです。(と僕は思います。)
せいぜい10本に1本あれば儲けもの位に思っています。
そういう意味で演劇は非効率的だよなと身にしみて思います。
なので先の友人が「あれはマジでつまんなかった」と言っても、それはそれでまあ仕方がないなと、少し冷静になれば思うのです。
と同時に、作っている側の人間の心情としては、「これつまんないよな」と思って作るなんてことはまずないというのも痛いほど分かります。
目の前の作品を、戯曲を、演出を、面白いなあと思わなければ40日も稽古をしてらんないからです。
それにそもそも好きじゃなきゃ演劇なんかやっていないわけで、作品を作るのが自分の仕事だと思えば、自然と思い入れも深くなります。
「これは面白い」「いい作品だ」と思うから、大切な人に観てもらいたいと心から思います。
それでも、それでもです。
堂々巡りになりますが、どれだけ作り手が大切に作ろうが、毎回観に来てくれた人全員が面白いと思ってくれるなんてことがあり得ないということも、やはり分かっているのです。
でも、それでいいのだと思いました。
別に単に褒められたくてやっている訳ではない。
これが自分の仕事だから、もっと上手くなりたくて、もっと凄いことが出来るようになりたくて、もっと面白いものを作りたくて、やっている。
だから1本作ってハマらなかったとしても、あと9本作り続ければ、もしかしたらその人の人生を1mmでも動かすような作品を届けられるかもしれない。
演劇なんてそういう気の長い営みに違いない。
そのためには一つの作品の評価に一喜一憂することなく、淡々と作品を作り続けられる場所と機会が必要だよなぁと、そんなことを「あれはマジでつまんなかった」という友人の一言を聞いてふと思ったのでした。
なによりそれを率直に言ってくれたというのも嬉しいことだとしみじみ思いました。
そんなこんなで、どうして平泳ぎ本店を始めてみようと思ったのかという、ちょっとしたきっかけの話でした。
松本